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MY BROTHER, MY SISTER, AND I ( リダイレクト:MY BROTHER, MY SISTER, AND Iは、1994年に出版された、ヨーコ・カワシマ・ワトキンス (Yoko Kawashima Watkins) の小説 。第二次世界大戦終戦直前に満州国から引上げた一家の苦労を描いた作品 ''So Far From The Bamboo Grove'' (竹林はるか遠く) の続編。アメリカとカナダで出版されており、本文は英語で記述されている。日本語版は2015年に「続・竹林はるか遠く 兄と姉とヨーコの戦後物語」という邦題でハート出版から出版された 。== あらすじ ==14歳になった擁子は、京都の嵯峨野女学校へ通い続ける。増田夫妻から経営する会社の物置小屋である4畳の部屋を借り、きょうだい3人で暮らしていた。しかしある日、放火により住居を失う。この火災で姉が、母の遺灰と家宝を取りに行った際に階段から落ちる。姉は全身を骨折し9ヶ月間入院、擁子は病院で兄と一緒に看病しながら暮らす。この姉の入院費用を稼ぐために、兄は昼間工事現場で働き、夜間は病院の警備員の仕事につく。擁子も子供服を作って売ったり、農家の仕事を手伝ったり、蚕の研究のアルバイトを夏休みに行うなど、絶えず家族のために働いた。一方で、火事で亡くなった増田夫妻の姪のジュンコに、放火・殺人・窃盗の罪を着せられる。学校では、泥棒とののしられ、差別を受ける。しかし警察官と医師と検視官は、姉妹は犯人では無いと判断し、真犯人の捜査を行う。偶然にも、擁子がジュンコと仲の良かった、ゴロウとモリタが犯人だとつきとめる。ジュンコが、叔父たちが、財産を自分に相続せずに、障害のある子供たちへ寄付しようとしていたのを知り、保険金をかけて、3人で共謀していたことが後に分かる。姉が退院後は、きょうだいは橋の下で野宿を始める。しかし、周辺は浮浪者であふれ、睡眠不足と疲労がたまる。姉が右膝の状態が悪化して高熱を出し、急遽手術を受けるが、生涯膝を曲げられないと医師に宣告をうける。そんなとき、病院で仲良くなったミナト夫妻の好意で、夫妻宅のひと部屋を借りることになる。そのさなかシベリアに抑留中の父から母宛に青森へ手紙が届く。京都の住所に転送してもらうが、内容が事前閲覧されて墨で黒く塗りつぶされており、かろうじて「そう長くならない内に帰るだろう」という文字だけ解読できた。1948年12月、擁子は、政府が全額出資する京都大学内にできた試験的な英語強化プログラム、「ENGLISH VILLAGE POGRAM」へ奨学金を受け受講する。京都近辺から35人が選ばれた、1949年2月、嵯峨野女学校を卒業、「ENGLISH VILLAGE POGRAM」も1950年春には修了する。そして1950年の秋、引揚げた父とついに再会を果たす。 ) : ウィキペディア日本語版
MY BROTHER, MY SISTER, AND Iは、1994年に出版された、ヨーコ・カワシマ・ワトキンス (Yoko Kawashima Watkins) の小説 。第二次世界大戦終戦直前に満州国から引上げた一家の苦労を描いた作品 ''So Far From The Bamboo Grove'' (竹林はるか遠く) の続編。アメリカとカナダで出版されており、本文は英語で記述されている。日本語版は2015年に「続・竹林はるか遠く 兄と姉とヨーコの戦後物語」という邦題でハート出版から出版された 。== あらすじ ==14歳になった擁子は、京都の嵯峨野女学校へ通い続ける。増田夫妻から経営する会社の物置小屋である4畳の部屋を借り、きょうだい3人で暮らしていた。しかしある日、放火により住居を失う。この火災で姉が、母の遺灰と家宝を取りに行った際に階段から落ちる。姉は全身を骨折し9ヶ月間入院、擁子は病院で兄と一緒に看病しながら暮らす。この姉の入院費用を稼ぐために、兄は昼間工事現場で働き、夜間は病院の警備員の仕事につく。擁子も子供服を作って売ったり、農家の仕事を手伝ったり、蚕の研究のアルバイトを夏休みに行うなど、絶えず家族のために働いた。一方で、火事で亡くなった増田夫妻の姪のジュンコに、放火・殺人・窃盗の罪を着せられる。学校では、泥棒とののしられ、差別を受ける。しかし警察官と医師と検視官は、姉妹は犯人では無いと判断し、真犯人の捜査を行う。偶然にも、擁子がジュンコと仲の良かった、ゴロウとモリタが犯人だとつきとめる。ジュンコが、叔父たちが、財産を自分に相続せずに、障害のある子供たちへ寄付しようとしていたのを知り、保険金をかけて、3人で共謀していたことが後に分かる。姉が退院後は、きょうだいは橋の下で野宿を始める。しかし、周辺は浮浪者であふれ、睡眠不足と疲労がたまる。姉が右膝の状態が悪化して高熱を出し、急遽手術を受けるが、生涯膝を曲げられないと医師に宣告をうける。そんなとき、病院で仲良くなったミナト夫妻の好意で、夫妻宅のひと部屋を借りることになる。そのさなかシベリアに抑留中の父から母宛に青森へ手紙が届く。京都の住所に転送してもらうが、内容が事前閲覧されて墨で黒く塗りつぶされており、かろうじて「そう長くならない内に帰るだろう」という文字だけ解読できた。1948年12月、擁子は、政府が全額出資する京都大学内にできた試験的な英語強化プログラム、「ENGLISH VILLAGE POGRAM」へ奨学金を受け受講する。京都近辺から35人が選ばれた、1949年2月、嵯峨野女学校を卒業、「ENGLISH VILLAGE POGRAM」も1950年春には修了する。そして1950年の秋、引揚げた父とついに再会を果たす。

MY BROTHER, MY SISTER, AND Iは、1994年に出版された、ヨーコ・カワシマ・ワトキンス (Yoko Kawashima Watkins) の小説
第二次世界大戦終戦直前に満州国から引上げた一家の苦労を描いた作品 ''So Far From The Bamboo Grove'' (竹林はるか遠く) の続編。
アメリカカナダで出版されており、本文は英語で記述されている。
日本語版は2015年に「続・竹林はるか遠く 兄と姉とヨーコの戦後物語」という邦題でハート出版から出版された 。
== あらすじ ==
14歳になった擁子は、京都の嵯峨野女学校へ通い続ける。増田夫妻から経営する会社の物置小屋である4畳の部屋を借り、きょうだい3人で暮らしていた。しかしある日、放火により住居を失う。この火災で姉が、母の遺灰と家宝を取りに行った際に階段から落ちる。姉は全身を骨折し9ヶ月間入院、擁子は病院で兄と一緒に看病しながら暮らす。この姉の入院費用を稼ぐために、兄は昼間工事現場で働き、夜間は病院の警備員の仕事につく。擁子も子供服を作って売ったり、農家の仕事を手伝ったり、の研究のアルバイトを夏休みに行うなど、絶えず家族のために働いた。
一方で、火事で亡くなった増田夫妻の姪のジュンコに、放火・殺人・窃盗の罪を着せられる。学校では、泥棒とののしられ、差別を受ける。しかし警察官と医師と検視官は、姉妹は犯人では無いと判断し、真犯人の捜査を行う。偶然にも、擁子がジュンコと仲の良かった、ゴロウとモリタが犯人だとつきとめる。ジュンコが、叔父たちが、財産を自分に相続せずに、障害のある子供たちへ寄付しようとしていたのを知り、保険金をかけて、3人で共謀していたことが後に分かる。
姉が退院後は、きょうだいは橋の下で野宿を始める。しかし、周辺は浮浪者であふれ、睡眠不足と疲労がたまる。姉が右膝の状態が悪化して高熱を出し、急遽手術を受けるが、生涯膝を曲げられないと医師に宣告をうける。そんなとき、病院で仲良くなったミナト夫妻の好意で、夫妻宅のひと部屋を借りることになる。そのさなかシベリアに抑留中の父から母宛に青森へ手紙が届く。京都の住所に転送してもらうが、内容が事前閲覧されて墨で黒く塗りつぶされており、かろうじて「そう長くならない内に帰るだろう」という文字だけ解読できた。1948年12月、擁子は、政府が全額出資する京都大学内にできた試験的な英語強化プログラム、「ENGLISH VILLAGE POGRAM」へ奨学金を受け受講する。京都近辺から35人が選ばれた、1949年2月、嵯峨野女学校を卒業、「ENGLISH VILLAGE POGRAM」も1950年春には修了する。そして1950年の秋、引揚げた父とついに再会を果たす。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「MY BROTHER, MY SISTER, AND Iは、1994年に出版された、ヨーコ・カワシマ・ワトキンス (Yoko Kawashima Watkins) の小説 。第二次世界大戦終戦直前に満州国から引上げた一家の苦労を描いた作品 ''So Far From The Bamboo Grove'' (竹林はるか遠く) の続編。アメリカとカナダで出版されており、本文は英語で記述されている。日本語版は2015年に「続・竹林はるか遠く 兄と姉とヨーコの戦後物語」という邦題でハート出版から出版された 。== あらすじ ==14歳になった擁子は、京都の嵯峨野女学校へ通い続ける。増田夫妻から経営する会社の物置小屋である4畳の部屋を借り、きょうだい3人で暮らしていた。しかしある日、放火により住居を失う。この火災で姉が、母の遺灰と家宝を取りに行った際に階段から落ちる。姉は全身を骨折し9ヶ月間入院、擁子は病院で兄と一緒に看病しながら暮らす。この姉の入院費用を稼ぐために、兄は昼間工事現場で働き、夜間は病院の警備員の仕事につく。擁子も子供服を作って売ったり、農家の仕事を手伝ったり、蚕の研究のアルバイトを夏休みに行うなど、絶えず家族のために働いた。一方で、火事で亡くなった増田夫妻の姪のジュンコに、放火・殺人・窃盗の罪を着せられる。学校では、泥棒とののしられ、差別を受ける。しかし警察官と医師と検視官は、姉妹は犯人では無いと判断し、真犯人の捜査を行う。偶然にも、擁子がジュンコと仲の良かった、ゴロウとモリタが犯人だとつきとめる。ジュンコが、叔父たちが、財産を自分に相続せずに、障害のある子供たちへ寄付しようとしていたのを知り、保険金をかけて、3人で共謀していたことが後に分かる。姉が退院後は、きょうだいは橋の下で野宿を始める。しかし、周辺は浮浪者であふれ、睡眠不足と疲労がたまる。姉が右膝の状態が悪化して高熱を出し、急遽手術を受けるが、生涯膝を曲げられないと医師に宣告をうける。そんなとき、病院で仲良くなったミナト夫妻の好意で、夫妻宅のひと部屋を借りることになる。そのさなかシベリアに抑留中の父から母宛に青森へ手紙が届く。京都の住所に転送してもらうが、内容が事前閲覧されて墨で黒く塗りつぶされており、かろうじて「そう長くならない内に帰るだろう」という文字だけ解読できた。1948年12月、擁子は、政府が全額出資する京都大学内にできた試験的な英語強化プログラム、「ENGLISH VILLAGE POGRAM」へ奨学金を受け受講する。京都近辺から35人が選ばれた、1949年2月、嵯峨野女学校を卒業、「ENGLISH VILLAGE POGRAM」も1950年春には修了する。そして1950年の秋、引揚げた父とついに再会を果たす。」の詳細全文を読む




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